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智頭はねそ踊り

はねそ踊り

 「智頭はねそ踊り」は、江戸時代末期から智頭町の智頭地区に伝わる盆踊りです。着物のすそをはね上げるように踊る姿から「はねそ」と呼ばれるようになったとされており、市松模様の浴衣に編笠をかぶり、歌と太鼓の拍子に合わせ、しなやかな身振り手振りで踊ります。

 歌詞は浄瑠璃の文句で、仙台・伊達家のお家騒動をつづった「先代萩」、学問の神として知られる菅原道真の失脚を描いた「菅原伝授手習鑑」などの悲劇が中心です。明るい節回しながらどことなくもの悲しさが漂う音頭にのせて忠義や人情、悲恋が歌われ、8・3・1・1のタイミングで太鼓の拍子が入ります。一区切りごとに踊り手が入れる「エーイション」「ヨイヤーコー ヨーイヤサイ」「モウヒトツ サッサイ」の合いの手は、はねそ踊りに生き生きとした活気を与えています。

【歴 史】
はねそ踊り3 はねそ踊りが智頭宿に伝わったのは、江戸時代末期の安政6年(1859)。智頭町内の酒蔵「諏訪酒造」所蔵の古文書によると、鹿野町の河内(こうち)からやって来た酒樽を造る職人によって伝えられた、とされています。
 夏の夜に若者が集い、浄瑠璃の哀調ゆかしい歌にのって踊りを楽しみました。音頭と太鼓の調子に合わせ、みんなで舞うはねそ踊りは、山林に囲まれて暮らす若者たちの数少ない娯楽の一つだったと思われます。以降、夏の盆踊りとして、組み造ったやぐらの周りを二重三重の輪となって取り囲み、大勢の人でにぎやかに踊り継がれてきたのです。

 ところが、昭和25年(1950)ごろから次第に衰退をたどり、世の変革につれ、踊られる機会がほとんどなくなってしまいました。夏の夜に響いていた太鼓の音は聞こえなくなり、はねそ踊りを知る人もだんだん少なくなっていきました。

 しかし、はねそ踊りに対する熱い思いを秘めた人々は残っていました。「幼少から親しんできたはねそ踊りを復活させたい」という思いを胸に有志が集まり、歌と踊りを継承していた梶永氏を初代会長に、昭和52年(1977)に「智頭はねそ踊り保存会」を結成。同好者を募って、再び「智頭はねそ踊り」に息を吹き込んだのです。

【保存会の活動】
 現在、保存会のメンバーは約20名。毎年お盆には初盆の家を巡回し、庭先ではねそ踊りを舞って故人の供養を行っています。この活動により“夏の風物詩”として地域に根付き、住民に親しまれています。

 また、智頭地区の郷土芸能としての役割も担っています。智頭町や鳥取県の文化祭はもちろん、智頭の夏を代表するイベントである「来んさい!見んさい!踊りん祭!」や、町外・県外でのイベントにも多数出演しています。

 メンバーの平均年齢は60歳代と後継者不足が課題ですが、地元小学校との交流会などを催し、若い世代への継承も心がけています。

はねそ踊り2

現地情報


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はねそ踊り
住 所/鳥取県八頭郡智頭町智頭430
TEL/智頭はねそ踊り保存会(会長 山本信利)0858-75-1462

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