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西河克己映画記念館

国登録有形文化財:平成12年12月登録


西河克己映画記念館 西河克己映画記念館は、旧塩屋出店の洋館として昭和5年頃裏庭に建てられたものといわれており、その後、子ども達の文化育成のために教会として利用されました。二階建て、切妻造、一部庇(ひさし)がつき、波形の浅瓦葺、下板見張りで、窓の額縁を柱型として表すスティックスタイル風のしゃれた意匠です。昭和初期の智頭宿の繁栄を感じさせ、住民にも思い出深い建物です。

 智頭町出身の映画監督・西河克己氏から映画監督資料を寄贈いただいたのを機に、映画記念館として整備し平成13年度に開館しました。西河監督の数多くの作品のうち、「絶唱」(昭和41年日活)は40年当時、智頭町でロケが行われ話題となりました。(舟木一夫・和泉雅子主演)。「青い山脈」「伊豆の踊り子」「潮騒」などのポスター、台本、スチール写真や多くの俳優や映画人からの手紙などを展示し、日本映画界の黄金期を支えた西河監督の実績を紹介しています。

西河克己(本名:同じ)プロフィール

略 歴
1918年(大正7年)鳥取県八頭郡土師村に生まれる
1922年(大正11年)家族とともに東京へ上京
1936年(昭和11年)私立高輪中学校卒業
1939年(昭和14年)日本大学藝術学部卒業。同年12月、松竹大船撮影所入社。
1940年(昭和15年)9月招集され出征(東南アジア・中国)
1946年(昭和21年)7月復員後、松竹に復職
1952年(昭和27年)『伊豆の艶歌師』(主演:佐田啓二)を初監督
1954年(昭和29年)日活に移籍
1956年(昭和31年)3月結婚
1969年(昭和44年)日活を退社
1979年(昭和54年)日本大学芸術学部講師
1988年(昭和63年)日本大学大学院講師
1991年(平成3年)勳四等瑞宝章受章
2010年(平成22年)4月6日肺炎で死去(享年91歳)


人 物
 西河克己監督は、大正7年(1918年)に鳥取県八頭郡土師村(現在 鳥取県智頭町土師地区)で生まれ、父親の仕事で東京に上京する4歳までを同地で過ごしました。日本大学藝術学部卒業後、昭和14年(1939年)松竹大船撮影所に入社、当時は日中戦争中であったため、入社1年を経ずして昭和15年(1940年)東南アジアや中国へ出征。昭和21年(1946年)に復員し、松竹に復職しました。初監督作品は昭和27年(1952年)、『伊豆の艶歌師』(主演:佐田啓二さん)です。

 その後、昭和29年(1954年)日活に移籍し、文芸・アクション・青春ドラマ・メロドラマ・歌謡映画など多種多様な作品を手がけました。1960年代には、石原裕次郎さん主演『若い人(1962年)』、吉永小百合さん主演『青い山脈(1963年)』・『伊豆の踊子(1963年)』・『帰郷(1964年)』、高橋英樹さん主演『エデンの海(1963年)』などの作品でその才能を発揮、GHQから解放された戦後日本映画の全盛を飾りました。中でも『伊豆の踊子』『絶唱(1966年)』(主演:舟木一夫さん)はリメイク作品ではありながら前作を上回るヒットを記録し、西河監督の代表作ともいえます。

 一時テレビ界に籍を置きますが、1970年代後半東宝映画で映画界に復帰、ホリプロ創業者 堀威夫氏に吉永小百合作品を監督した経験を買われ、山口百恵さん・三浦友和さんのゴールデンコンビで『伊豆の踊子(1974年)』をリメイクすることになります。その後山口百恵さん・三浦友和さんのコンビで『潮騒(1975年)』・『絶唱(1975年)』・『エデンの海(1976年)』のリメイクや『春琴抄(1976年)』、森昌子さん主演の『どんぐりっ子(1976年)』を監督しました。

 幼少期を過ごした故郷への想いは深く、西河監督の作品には鳥取県に関連したものがいくつかあります。『絶唱』の舞台は島根県ですが、舟木一夫さん主演の作品では、鳥取砂丘・賀露港・智頭町が舞台に脚色されています。また「智頭好夫」の名前で、『悲しき別れの歌(1965年主演:吉永小百合さん)』『夕笛(1967年主演:松原智恵子さん)』『残雪(1968年主演:舟木一夫さん)』『ザ・スパイダースのバリ珍道中(1968年)』などの脚本も手がけています。
参考:Wikipedia

現地情報


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西河克己映画記念館(国登録有形文化財)
所在地/鳥取県八頭郡智頭町智頭545(智頭宿内)
    (塩屋出店と同一敷地内)
TEL/0858-76-1111
FAX/0858-76-1112
開館時間/10:00〜17:00

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